
7月6日、南三陸町の志津川高校に2回目の炊き出しに行ってきましたので報告します。
今回のメンバーは岡本専務、佐藤亘先輩、手塚徹君、比氣委員長、手塚昌宏君、小野委員長、伊藤副委員長、関澤副委員長、そしてマイクロバスを出してくれた茂木町の白石拓郎君です。
白石君は急なお願いにもかかわらず、運転手としてハードスケジュールをこなしてくれました。本当に感謝です。ありがとうございました。
今回の志津川高校は2回目の炊き出しです。
避難所周辺の風景は前回と比べ、がれきは少なくなっていると思いますが震災後4カ月経っても、まったく手付かずのがれきが残っていたり、積み上げられたがれきの山が何ケ所も有ったりと、がれきの処分だけでもまだまだ時間がかかる印象を受けました。
実際、がれきの山に運び入れる大型ダンプは何台も走っていましたが、運び出すダンプは無かったと思います。
がれき処理の方法、予算などがまだまだ明確に決まっていない現状がよくわかりました。
志津川高校に着くと、前回の炊き出しでは無かった仮設住宅が校庭に出来ていました。
良く見ると洗濯物が干してある部屋がまばらで、ニュースで報道されていたように
抽選で当たっても仮設住宅に入居しない入居率の問題が見てとれました。
炊き出し場所に着くと早速、炊き出し準備です。
今回のメニューは名付けて「がんばっぺ生姜焼き比氣肉丼!」です。比氣料理長を中心に気合の炊き出しスタートですが・・・・
行きのバスの中で今回のメンバーは全員、なんとほとんど料理が出来ないことが判明・・・
ですが怒涛の炊き出しがスタートです。自分の爪をスライスしたり、味噌汁の熱さに奇声を上げたり、生姜焼肉のレシピを今さら調べ始めたりと、ドタバタしましたがそこは炊き出し10回目の真岡JCの底力、出来あがってみれば本当においしい生姜焼肉丼が完成しました。
メニューは生姜焼肉丼と豆腐と油揚げのお味噌汁、そして今回も山中先輩よりご提供いただいた桃ジュースです。
予定通り12時に配り始めるとあっという間に約100食を配り終えました。
余った料理も是非置いていってほしいと言われ、うれしい限りでした。
またうれしいことがもう一つ、並んでいただいたみなさんが前回の炊き出しで配ったメッセージ入りのお盆を使っていてくれました。笑顔でお盆の絵をこちらに見せてくれました。
炊き出しを配り終えた後、リーダー的な方に避難所の現状を聞いてみると今はとにかくみんな暑さとストレスで疲れきっているとのことでした。その為、日中の活動全般を控えたい思いがあるようです。暑さに関しては手の打ちようがなく、扇風機だけで我慢しているのが現状だそうです。これから更に暑くなるのに対処法がなく、どうしていいかわからないと言っていました。やはり暑さ対策がこれからの避難所生活の一番の課題のようです。
更にストレスの原因の一つとして仮設住宅の問題があるようです。
志津川高校は仮設住宅、避難所が同じ敷地内にあるのですが、先ほど書いたように仮設住宅に当選しても入居しない人がいたり、目の前の仮設住宅に入りたくても遠方の仮設住宅に当選してしまって入居を断念したりと、避難所に残された人たちは仮設住宅に左右されるのがとてもつらいとの事です。同じく被災して、同じ敷地内にいるのにクーラーが有る仮設住宅と猛暑の避難所、でも仮設住宅だと生活できないからと避難所に残る人、希望通りに当選して避難所を後にする人、この複雑な思いが暑さと共にストレスを増しているように感じました。
それでも最後には炊き出しは本当にありがたいとおっしゃっていただけました。仮設住宅の問題など、私たちには解決できない問題は山積みですが今後の炊き出しや、暑さ対策、ストレス解消など一時、一瞬だけでも心の支えになれるような支援がまだまだ必要だと感じました。
そして最後にみなさんと記念撮影して、志津川高校を後にしました。
今回もバスが見えなくなるまで精一杯、手を振っていただいた避難所の皆様の姿にこちらが元気をいただきました。ありがとうございました。
「祖国日本の復興」に向けて、
がんばろう 日本!
がんばっぺ とちぎ!
6月14日に行った南三陸町志津川地区での炊き出しに参加、ご協力くださった芳賀通運様の女性社員3名様から炊き出しを終えてのレポートをいただきました。ここにご紹介させていただきます。
被災地支援活動に参加して
5月5日のこどもの日、志津川小学校へ同行させて戴いたのに続き、2回目のお手伝いとして参加させて戴きました。
前回は電気も水道も全くない状態でしたが、今回は仮設の電柱が随分と張り廻らされていたり、仮設住宅の設置も進んでいるようで、復興の姿が少しずつ目に見える形になっていました。3ヶ月経った今も視野に入るのは、ガレキ一面の手付かずの所がほとんどですが、重機などの復興支援車輌が沢山活躍し、ガレキを集約している場所も見受けられました。
炊き出しをしていても被災者の方々がちょっとは明るくなったような気がします。笑顔が見られるようになり、「ご馳走になります」「ありがとうございます」「大盛りにしてくれてありがと!」などとの会話もできました。地元の方達ばかりではなく、”何とかしなければ!負けてはいけない!”という、人々の熱い思いが、遅いけれど確実に伝わっていることが解ります。人間、本気になって本気の思いを伝えたら、それはちゃんと伝わるものだと。
特に真岡JCさんが用意されたお盆。これは前回も今回も高評でした。お盆を支援物資とした理由を伺うと、「初回の時にダンボールしかなかったので不便だと思った」とのことですが、これはかなりのヒット用品。やさしさの押し売りではなく、自己満足の結果でもなく、真に相手の立場に立って考えられたからこその、発案の賜物だと感じました。
地域や会社において「常に相手の立場で考えて」などと、スローガン的に発している私でしたが、この言葉には奥が深いものがあるのを感じ反省しました。またこのような復興支援は、一時的な感情的な思いではなく、長く続けなければ意味がないことも学びました。小さなことですが、節電したり、ボランティアに参加したり、現地のものを購入したり・・・と、背伸びをせずにコツコツと、出来ることからやっていきたいと思います。自分だけでなく、家族や同僚や地域の人たちも巻き込んで。
今回の矢部様を象徴するように、地域リーダーのネットワークをお持ちの真岡JCさん。羨ましい限りです。このような若い力、熱い思いが次の世代の日本を変えていかれるのですね。メンバーさんではないけれど、裏方として可能な限り協力致したいと思います。
参加させて戴いてありがとうございました。
芳賀通運株式会社 N様
続きましてもうお一人からのレポートを御紹介します。
南三陸町へのボランティア活動に参加して
東日本大震災について、各メディアの報道から、自分自身も何かしたいと常々考えていましたが、術がわからず行動に移すことができませんでした。今回青年会議所の方に声をかけていただき参加させていただき本当に感謝しています。
現地に入るまで被災地であるという状況は見受けられませんでしたが、突然視界に入ってきた惨状に愕然としました。自宅での報道映像とは比べ物にならない衝撃を受け、風景・流れている空気と共に現実感が一層肌で感じられました。
初参加の私はただ目の前の仕事をこなすだけで精一杯でしたが、回数を重ねている方々の心くばりには敬服いたしました。正に、相手の立場になって行動する事を見事に実践されていました。現地の方々に暖かく見送られ「私は付いてきただけなのに」と申し訳ない気持ちにもなりました。バスが見えなくなるまで手を振っていただき、なかでもバスめがけて一生懸命手を振りながら走ってくるおばあちゃんには思わず目頭が熱くなり、また来よう!と強く思いました。
一口にボランティアといっても金銭的、時間的にも個々には大変な状況であることも認識できましたので、今回の参加は人生観が変わるくらいの体験でした。
機会がありましたら、次回も是非参加させていただきたいと思います。
いろいろとご指導をいただきありがとうございました。
芳賀通運株式会社 F様
6月14日に南三陸町志津川地区で炊き出しを行いました。今回は真岡青年会議所から、塚本特別理事、篠原特別理事、大滝副理事長、芳賀通運様より女性スタッフの方が3名、運転手さんの計7名で挑みました。
活動に参加した篠原特別理事の報告をご覧ください。
特別理事の篠原です。
14日に実施しました南三陸町志津川地区での炊き出し支援を報告します。
真岡JC炊き出し支援活動は、今回で9回の支援となります。
今回は、宮城県南三陸町の志津川高校での炊き出しとなりました。
参加者は、真岡JCとして、塚本特別理事、大滝副理事長、
芳賀通運様より女性スタッフの方が3名、運転手さん、そして私の計7名。
私は、1ヶ月半前の4月の支援でも志津川地区を訪れていますが、
その時と比較して、津波による瓦礫の町並みは、
まだまだ、車や材木などの重機を必要とする瓦礫は残っていますが、
ざっと見て、半分ほどは回収が進んでいる印象でした。
しかし、その片付いた更地、がれきに群がる大量のカラス、巨大化したハエが
かえって虚しさを感じられずにはいられません。
そんな中をマイクロバスで通り過ぎ、
道を間違えた結果、高台に位置する老人介護施設に誤到着。
あとから聞いた話ですが、3月11日はこの高台も避難所になっていたそうですが、
その避難所にも大津波は押し寄せ、避難した方が数10名、亡くなったそうです。
気を取り直し、カラスの群れの中、
さらに高台に位置する志津川高校に到着いたしました。
現在、沖縄の自衛隊が常駐して支援されていますが、
宮城県知事の命により、県内でも早々に支援が入ったところだそうです。
現在150名の方が避難されており、
佐々木リーダーの元、とてもまとまっている感の避難所です。
町でもともと食堂を営んでいた親子の尽力により、
現在は、何とか1日3食を自力で賄っているようです。
ただ、やはり炊き出しは歓迎され、
特に、GW以降の炊き出しは久しぶりとあって、
皆さんに感謝されながらの炊き出しとなりました。
避難所の皆さんは、身内を亡くし、家や家財を失い、
生活費が1円もないような、辛い経験をされているのに、
皆さん、気丈に振る舞っていらっしゃいました。
この日のメインメニューは、
にっこうや特製の「野菜たっぷり鶏丼」。
白米は村田先輩からお借りしたガス窯で、つやつやの炊き立てを。
具は主婦3名の主導により、プロ顔負けの味つけとなり、大好評です。
JCメンバー3名も、味見役として奮闘しております。
誤解を招きますので補足しますが、メンバーの男性陣は、
荷物卸やテント張り、ご飯とぎや豆腐切り、効率的な導線確保など、
しっかり仕事をしております。
また、今回は「味噌汁」にも初挑戦。
豆腐、わかめ、油揚げがたっぷりと入った
おふくろの味の味噌汁が完成しました。
山中先輩のご厚意による「野菜ジュース」もお配りし、好評をいただきました。
そして、今回、被災者から大好評だったのは、
以前、みんなで作成した「メッセージ入りトレイ」。
やはり、トレイを支援品としての提供は初めてとのこと。
あとからトレイ50枚の追加依頼もあったほど、たいへん重宝がられました。
そして、撤収。
撤収時には、避難所の皆様から両手を振っての送迎をいただきました。
高齢のおばあちゃんが、走ってどこまでも、手を振って見送っていただいた姿に、
涙をこらえるのが精いっぱいでした。
9回を数える炊き出し支援活動ですが、
今回、特筆すべきはそのコンパクトさ。
6名+運転手さんと少人数ながら、
AM10時に現地に到着し、PM1時には撤収し、PM7時には帰着。
正味3時間という効率の良さ。
これからの真岡JCが目指す支援方法は、
需要があっても供給の少ない「平日炊き出し」。
さらに、少人数で短時間で行う「高効率性」。
そして、長期化するであろう被災地への「継続化」。
今回は、それを見事達成できた炊き出しとなりました。
さあ、まだ被災地入りしていないあなた。
そうです、あなたです!
迷っている間にも、被災者の皆さんは苦しんでいます。
被災者の皆さんが、あなたの支援を必要としています。
次回支援活動は、7月6日(水)。
がんばろう東日本!
6月9日に8回目の炊き出しに行って参りました。
今回は炊き出しに参加した河原委員長の報告をこちらに掲載いたします。
炊き出しへ宮城県南三陸町泊(トマリ)地区へ、小堀副理事長・村田裕先輩・茂木町ゆずの里かおり村総括会長の石河智舒(とものぶ)さん・小泉和子さん(石川さんご友人)・私の5名で行ってまいりました。小泉さんは、埼玉県からご参加を頂きました。
約6時間の移動を経て目にした先には、TVニュースで観た光景が広がってましたが、自分の目で見た光景は「酷い」という言葉しか思いあたらず、ただただ絶句してました。
道路脇や山肌には瓦礫や車、そして船など様々な物が散乱してました。自衛隊や工事関係者、その他沢山復旧作業をされてる方々の姿を見ました。
穏やかな海面からは、疑うことができない光景が広がり、「震災前の風景が戻るのは何年先になるのだろう」と深く考えさせられました。
芳賀郡も被災地ですが、普段の生活に支障をきたすことなく生活出来ていることに感謝しなくてはいけませんね。
炊き出し先の避難所になっております「ニュー泊崎荘」には、146名(内子供30人)が避難生活をしておりました。
泊地区以外にも、馬場(バンバ)・名足(ナタリ)地区の方も避難されているそうです。男性の方は、昼食時に戻って来られるということで早速炊き出し準備にとりかかると、何人もの方に「何時からですか? メニューは何ですか?」と声をかけられました。こんなにも心待ちにしている人が大勢いらっしゃって、その場で僅かながら人の役に立つことの歓びを感じました。
炊き出し等、現地ではまだまだ必要とされております。
鳥丼のお味は、もちろん大好評でした!
避難所では未だに断水しております。
給水車は巡回してくれるようですが限りがある為、生活用水は大腸菌に汚染されている水を1日何度も汲みに行き塩素を入れ使用しているそうです。
普段、蛇口を回せば「水」が出るという日々当たり前の生活。
私自身、「震災」への気持ちや記憶が薄れてきていたような気がします・・・
もうひとつ感じたことがあります。
それは、被災者であるはずの皆さんが何より笑顔!笑顔!!笑顔!!!
村田先輩がこんなことをおっしゃっていました。
「3カ月前に比べると笑顔が増えた。これなら大丈夫。」
震災当時は、不安と恐怖でいっぱいだったと思います。もちろん、私自身そしてメンバーの皆さんも。。。
「頑張ろう日本」という一人ひとりの思いが積み重なった笑顔なんでしょうね。
とにかく皆さん元気一杯で、私達が逆に元気を分けて貰ったのかもしれませんね、小堀副理事長!
帰りの車内から仙台空港近くを通りました。
南三陸町同様、田んぼには色々な物が散乱した状態が広がってました。
給油のため立ち寄ったガソリンスタンドは、震災後5日目に営業を再開されたそうです。
復興は進んでいます。東北被災地の方も頑張ってます。
今、私たちに出来ることは何かをもう一度考え
減気(マイナス)を元気(プラス)に変え(石河さんのお言葉)
「祖国 日本の復興」に向け、頑張って行きましょう!!
まとまりのない文章になってしまいましたが、炊き出し支援のご報告とさせていただきます。
追記
真岡JC 歴代理事長の山中先輩の会社、山中乳業様より牛乳2万本をお預かり現地にお届け致しました。