
―歩いたあとに 一輪の花を咲かせよう―
遥かなる青い空。
目に染みる新緑の山なみ。
風にそよぐ黄金色の田園風景。
小魚が戯れる澄んだ清流。
夢と笑顔があふれる市民。
公園で無邪気に走り回る子どもたち、そして笑い声。今まで当たり前過ぎて、意識すらしなかったこの故郷の風景は、
東日本大震災を境に一変しました。
見た目は変わらないけれど、私たちの生活は根底から覆されることとなったのです。
私たちの故郷である真岡・芳賀エリアも、
震度7の激震に襲われ、多くの家屋が損傷し、企業は復旧に向けて休業せざるを得ず、
放射能汚染による諸問題は、東日本全域に永く深い爪痕を残しました。
いまだ避難生活をされる被災者はむしろ、深刻さを増す一方です。
しかし、この状況下でも、私たちの心を照らす希望の光は差しているのです。
震災当日、誰もがひっ迫した状況にもかかわらず、
コンビニやスーパーは営業し、
そこに並ぶ市民は行列を作りながらも、冷静にお金を払って買い物をしました。
首都圏では、多くの通勤困難者を出しながらも、
ご高齢者をいたわりながら、見ず知らずの人々が互いに励ましあいながら、
数十㎞もの距離を、徒歩で帰路に着いたといいます。
津波により破壊された被災地ではみな、
秩序を守り、他人を思いやり、励ましあいながら今も耐え抜いています。
震災直後より、全国各地から私たち青年会議所をはじめとした
大勢の支援の手が差し伸べられ、苦難を皆で分けながら、被災地を応援しています。
私たち日本人が当たり前にとった行動は、本来もっていた日本人の美徳そのものです。
過度な競争教育やグローバル経済を背景としたストレス社会によって
いつの間にか心の奥底に眠ってしまっていたそれが、目を覚ましたのです。
この震災を契機として、
世界が賛辞を呈した日本人の心を、
私たちは誇り、もっと自覚すべきであり、
新たな地を拓いていくことが、
犠牲に遭われた人々への救いとなり、いまだ苦しむ人々への応えとなります。
日本は強い。日本は優しい。
だから、下を向かず、明日を見つめて突き進んでいこう。
そして、愛する我が故郷を失うかもしれぬ危機に晒され、
さらには、企業も個人も節電にみられるように、電力問題に苦しめられて、
遂に、グリーン問題・エネルギー問題に真剣に向き合わざるを得なくなったいま、
この地域を見渡せば、豊かな里山やのどかな田園風景は、
光り輝く地域のたからであることに気づかされました。
30年先も、かけがえのない子どもたちが、故郷への夢を持ち続けられるように、
この地域の未来について、思い浮かべてみよう。
今から40有余年前、私たち真岡青年会議所はこの地に誕生しました。
そして、35年前、多くの先輩のご尽力により、真岡青年会議所は社団法人格を取得し、
この地域に根付いたJC活動を展開されてまいりました。
この35年間のJC運動は、
今もなお、私たち真岡JCの遺伝子として脈々と継承されています。
その原点を忘れることなく、一般社団法人として、新たに歩み始めます。
法人格は変わっても、JCと地域行政は、いつも手を携え、
まちづくりのパートナーとして歩を進めていこう。
すべては愛する地域のために。
この地には、すばらしい芸術文化が根付いていることを誇りに思うべきです。
真岡JCの歴史を振り返っても、創造美育運動の発信と継承により、
今の真岡JCがあるといっても過言ではありません。
そして、日本に誇る芸術文化、益子焼。
これらの文化が持つ相乗効果は計り知れません。
その力を広く地域に発信し、これらの文化の新しい波を作ろう。
故郷をあらためて知るということ。
それは、現在の地域力を解析するとともに、その地の歴史、地理、発展経緯を研究し、
明日のまちづくりをビジョン化することです。
地域を知り、地域のために、地域とともに歩いていこう。
そして、誰もが輝き、
誰もが夢を語り合い、
誰もが認め合えるような、
そんな真岡青年会議所を歩いていこう。
そして、
歩いたあとに 一輪の花を咲かせよう。
―歩いたあとに 一輪の花を咲かせよう―
歩いたあとに、一輪の花を咲かせたい
石川洋氏(京都一燈園)からの引用。
既に咲いている花を求めるよりも、自ら花を咲かせて歩いていくこと、
つまり、私たちが行動した後に、一輪の花を咲かせて歩くことが
JAYCEEらしい積極的な生き方である、という意。